徒然なるままにこの身を任せ

「最初は、膀胱炎だと診断されたんですよ」

 

 と語るのは、ボクシングの元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二氏だ。

 

「2012年の冬に頻尿に悩み、何度か病院に行ったんです。でも症状が治まらず、痛みも出てくるようになった。我慢し続けていたんですが、2013年の大みそかに血尿が出て、翌年2月に別の病院でやっと膀胱がんだとわかりました」

 

 がんを見抜けなかった医師とは、裁判まで起こした。

 

「女のコとエッチしていないのに『性病じゃないか』などとさんざん疑われて、結果的に発見が遅れたわけですからね。あまりに杜撰な検査だったと思います。知人の弁護士に訴訟をすすめられ、裁判を起こしましたが負けました」

 

 ステージ4の膀胱がんだとわかったとき、竹原氏の心はさすがに折れたという。

 

「最初は、医師に『初期だから全然たいしたことないよ』と言われたんです。よかったと思うじゃないですか。でも、調べれば調べるほど、リンパ節に転移しているとか、ひどい病状が明らかになってきたんです。治療を受けたのはおもに東大病院ですが、それ以外の病院も4、5軒まわりました。でも、みんな『早くしないと、1年くらいで最悪のことになる』なんて言うんです。膀胱がんに関する本をいろいろ読んでも、5年生存率はわずか28%などと書かれている。もう駄目だ、もういいやと思っていました。病室は葬式みたいな状態ですよ。息子も娘もまだ小さかったので『もっと遊びたかった。まだ生きたかった』なんてことばかり考えて……。『ボクシングをしたい』という思いだけじゃ、闘病のモチベーションは維持できませんよ(笑)。女房やいろいろな人が支えてくれて、なんとか闘ってみようという気持ちになれました」

 

 竹原氏の治療法は、抗がん剤と、膀胱の全摘出だ。

 

「『抗がん剤の治療期間を短くして、手術でやってほしい』と伝えました。2カ月間ほど抗がん剤を投与され、その後、手術で膀胱を取りました。その際、自分の小腸で新しい膀胱を作りましたが、自然に排尿することはできません。今でも小便するときは踏ん張って、腹圧で出さないといけません。たいていの人は、筋力不足でカテーテルに頼るそうですから、ボクシングをやっていたおかげですね」

 

 高額な自由診療にも頼ったが、あまりおすすめはできないという。

 

「『ANK療法』というのですが、450万円ぐらいかかりました。お金はなかったのですが、死ねば生命保険が入ってくるし、車を売って治療費を用意しました。免疫力を高めるために、病院で自分のリンパ球を採取し、それを培養して体に戻すという治療法です。今ある膀胱がんをなんとかできても、転移する可能性があるし、免疫力はあったほうがいいかなと考えたんです。でも、結局効果があったのかわかりません。だから安易にはすすめられませんね」

 

 摘出手術をおこない、退院した後は、食事に徹底的にこだわったという。

 

「食品添加物を極力摂らないとか、なるべく和食を中心に有機野菜や魚、玄米ばかり食べていました。5年たち、転移も再発もしなかったので無事治りました」

 

 今でも、がんになった理由はわからないという。

 

「ジャンクフードばかり食べていましたし、鎮痛剤をたくさん飲んでいたので、これが原因なのかもしれません。現役引退直後はヘビースモーカーだったので、いろんな要素が積み重なった結果でしょうね。私がおすすめしたいのは、どんなに小さな痛みでも、いろいろな病気を疑ってくれる先生に診てもらうことです。すぐに『なんともない』という先生は危ない。それから、少しでも前向きになることです。病室で読んだ本に『常に笑うのが大事だ』と書いてあったけど、実際がんになると、腹から笑えないですよ。でも意地を張って、作り笑いをする努力をしていました。当時、女房もネットで調べてくれて、膀胱がんになっても、ポジティブな人は末期でも生き残っていると励ましてくれました。もともとネガティブな人間ですが、病気を経て少し前向きになれた気がします。人間いつかは死にますからね」

 

取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト) 出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/ae892c832b9d5daea3ba49fdeba422ba92aaad9e

 

今では日本人の半分が癌になると言われている。
癌君に告ぐ。あなたのために命を落とされた方に謝りなさい。人の命を召すということはあなたも生きてはいけないのだから。

続きを読む≫ 2023/12/03 14:08:03
政治家の海外研修に「観光旅行のようだ」という批判が殺到するのは、既存メディアを動かすほどSNSが普及しているのと同時に、日々苦しい生活を強いられている庶民が多いことの裏付けでもある。

ATMでミルク代を下ろそうとしたら「残高が足りません…」出産1週間後に妻が知った「ダメ夫の悪癖」

ひと昔前であれば「政治家なんてそんなものでしょ」と看過していた人も多くいた。

しかしそんな人でも、自分自身や周囲の人たちが苦しい状況になって初めて政治への関心を高め、政治家に監視の目を光らせるようになる。

そんなことは大いにある。

危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。

「今の日本で、シングル家庭の半数ほどが貧困状態にあると言われているのは紛れもない事実。

経済的に苦しい場合、自分だけで解決しようと仕事をかけ持ちするなどして心身を壊してしまわないよう、経済支援や教育支援などの中からご自身に適用される支援策をあたったり、管轄の自治体窓口に相談したりしてみてください」


困窮するばかりの生活について取材を受けてくれたのは、中学1年と小学5年の2児を持つシングルマザー・徳島みれいさん(仮名)。

「支援策は調べ尽くし、使わせていただけるものは多分すべて利用しています。それでも、子どもが望む教育を受けさせたいという思いは『分不相応な高望み』と諦めかけています」

みれいさんは終始言葉を発するたび涙に声を震わせた。

まずはシンママとなった経緯や、生活に窮するようになるまでについて聞く。


「離婚理由は、前夫の借金と浮気です。もともと貯蓄は少なかったのですが、気づいたらマイナスになっていて借金がかさんでいました。

借金は不倫とほぼ同時期に判明したので、借金の理由には女が絡んでいるんだと思います。証拠はつかめなかったですが」

前夫は短大の時のバイト先の店長。みれいさんが初めて交際した男性だったという。

「上の娘ができてしまったので、仕方なく結婚を承諾された感じです。嫌な予感はありましたが、結婚後何度も転職をくり返すので、いつも不安しかなかった。

何をしても続かず、気が付くと仕事をやめていました。こんないい加減な男だったのかと思っていたら、とどめに不倫です」

前夫は養育費の額について相談を交わせるような相手ではなかった。

「養育費なんて払えないの一点張りで。納得はできないですけど、正直もう関わりたくなくて、親に相談の上、ほぼ無条件で離婚しました。借金を一緒に被るよりはいいかなと。

相手は子どもへの執着すら見せなくて、凄くショックでした」


みれいさんの実父は、ある中小企業の経営者。

裕福ではないにしても、実家にさえいれば家賃を浮かせられるし育児も協力を仰げると考え、子どもを連れてひとまず身を寄せた。

「いい加減な夫と暮らすなかで、実家に助けられたことは何度もありました。でも、今は甘えていたことを後悔しています。

というのも、知らなかったのは私だけで、離婚した頃には父の会社はすでに火の車だったんです。その状況に加えて離婚後まもなくコロナ禍に突入。

父の会社はもともと借り入れが多額にあり経営不振だったため、コロナの特別融資制度の審査に通らず破綻しました」

常に強気だったはずの父親は精神的に追い詰められ、廃人のようになった。

「父は自己破産し、私はアパートを借りて子どもと三人暮らしを始めました。遠方に住む弟も自分の生活で手一杯なので、時々励まし合いのメールを交わすくらいです。

もう誰も頼れないという感じ。人生ってこんなに簡単に様変わりするんだなと思いました」

後半では、困窮するみれいさん一家の生活についてより詳しくレポートしていく。

※この記事は取材に基づいたものですが、取材対象者のプライバシー保護の観点から、構成・編集に配慮していますことをご了承ください。

取材/文 中小林亜紀

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/e8c0ed437a370ee2166f7af8ac7edd3a06efea18

本当の政治家は、今いない。何が先生だ!「先生と言われるほどのバカでなし」。
組織に巻かれてる場合じゃねだろ。負け組みの氾濫はこれからますますひどくなる。
恒星寿命は必ずある。太陽はあと25億年位か。その前に膨張し続ける太陽の熱に人間は勝てない。
自然をコントロール出来ないくせに、偉そうな人間共。いずれ餌になる日が来るかもしれない、意味わかめ。。

いずれにしても、いつの日か我々の子孫が滅びることになるのだから、いっそのこと、こんな醜い地球にしてしまった今、痛みも無く、一瞬でなくなったほうがいいのかもしれない。
続きを読む≫ 2023/10/30 16:09:30
「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、要介護認定を受けた世帯数は増えており、構成割合として「要介護4」はそのうち7.5%となっています。要介護4は、介助なしで立ったり歩いたりするのが難しい状態を指しますが、70歳を過ぎてから三度のエベレスト登頂や、86歳でアコンカグア登頂挑戦をしてきた冒険家・三浦雄一郎さんも、少し前まで「要介護4」の状況にあったそう。リハビリに励みながら、立てた「100歳の目標」とは――。

【写真】足首に重りを付けたり、リュックを重くしたりすることで歩くことを「トレーニング」に変えた

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◆人生に「もう遅い」はない

「人生に、《もう遅い》はない」「人生はいつも今からがスタートだ」

私は、メディアの取材を受けたとき、講演会に登壇したとき、誰かに助言を求められたとき、この言葉を再三口にしてきた。

どんな状況に追い込まれても、何歳になっても、人間には生きている限り可能性があり、それを追求する権利があるということだ。

これは、私が身をもって体験してきたことである。

私は60歳のときに、冒険家、プロスキーヤーとして一度、引退を決めたことがあった。

「このあたりが引き際だろう。のんびり余生を楽しもう」

そのように考え、スキーと好きなゴルフをほどほどに楽しみながら、講演活動などを生業(なりわい)にして暮らしていこうとした。

それからの私は運動をやらなくなった。また、家でも外に出ても、好きなだけ食べて飲んでを繰り返した。パーティに呼ばれてはバイキングでカロリーの高い食べ物をバクバク食べ、ビールやワインで流し込んでいた。

◆3年以内が危ない

いうまでもない。気がつけば私はメタボ体型になっていた。もっともひどいときは、164cmで体重は88kgもあった。鏡に映る腹がたるんだ自分の姿を見て、「う〜ん、これはマズイぞ」と思ったりもした。だが、生活を改善することはなかった。

結果、私はあまりにも大きな代償を払うことになる。

不整脈、高血圧、高脂血症、さらに糖尿病の疑いもあることから、ドクターに「3年以内が危ない」という余命宣告を受けたのだ。65歳の頃だった。

「3年以内」という言葉はショックだったが、「なんとか手を打ちましょう」というドクターの助言もあり、私はそこから心機一転、再スタートすることにした。

今なら年金受給がスタートする年齢である65歳に、また歩き出したのだ。

◆私は挑戦をやめなかった

発奮材料となったのが、父の敬三と次男の豪太だった。当時の父は99歳でモンブランでスキー滑走をしようと計画中だった。また、豪太はモーグルで長野オリンピックに出場した。オヤジとセガレはキラキラと輝いている。それに比べて私は何をやっているのか……。

こうして、私はトレーニングを再開し、70歳でエベレストに登頂するという目標を定めた。

それから、コツコツと5年をかけて体力、筋力を取り戻すことで、エベレスト登頂という目標を達成することができた。世界最高峰のテッペンで、世界最高の風景を見ることができた。

それは生まれたての地球を見ているような気分だった。不整脈も高血圧も完全によくなったわけではなかったが、さらに私は挑戦をやめなかった。

75歳、80歳でもエベレストに登頂し、80歳のときは世界最高齢の登頂ということでギネス世界記録に認定された。さらに、山頂には至らなかったが86歳でアコンカグアにも挑むことができた。

65歳のときに余命宣告を受けた私が、下を向いたまま人生を諦めていたら、おそらくとっくの昔にこの世にいなかっただろう。

『諦めない心、ゆだねる勇気老いに親しむレシピ』(著:三浦雄一郎、三浦豪太/主婦と生活社)

◆マイナスからの再スタートでも前進できる

この話を聞いて、「三浦は若い頃から鍛えていたからできたのだろう」「よほど厳しいトレーニングに取り組んだのだろう」と思う方も多いだろう。

もちろん、若い頃に得た経験値や知見はプラスになっている。だが、少なくとも65歳の頃の私は、体力、筋力ともに平均以下だった。むしろ、メタボで身体は重く、動きも鈍くなり、気力も落ちていた。マイナスからの再スタートだった。

しかも、トレーナーをつけて、アスリートのような厳しいトレーニングを欠かさずやっていたわけでもない。管理栄養士の指導のもとで、栄養価が計算された食事を心がけていたのでもない。「今日は気乗りしないな」と運動をサボることもよくあった。

焼肉やステーキをたらふく食べて、「こりゃ食べすぎた」とベルトを緩めたことは数知れない。そんな私でも、なんとかかんとか、前進を重ねることで三度のエベレスト登頂を成し遂げることができたのだ。

私は87歳のときに頸髄(けいずい)硬膜外血腫になり、下半身が痺(しび)れ、感覚が鈍くなり、一時は起き上がることもできなかった。そんな絶望的な状態でも、「目標を立てる」ということは65歳のときと同じだった。

たしかに、60代、70代のときとは状況は異なる。しかし、子どもたちや周りの人たちにさまざまなことをゆだねることで、また、再スタートすることができた。

◆100歳の目標もすでに決まっている

メジャーリーガーの大谷翔平選手は、ベースボールの世界で誰もなしえなかった投打の二刀流に挑戦し、見事に成功させた。「二刀流なんて誰もやっていないから無理だ」と最初から諦めず、それを実現するための挑戦をスタートさせたからこそ、今の大活躍があるのだろう。

もちろん誰もが大谷選手のようになれるものではない。まして、高齢者ならなおさらだ。

しかし、地球上に生かされた我々人間のすべてに、スタートするチャンスはある。年齢は関係ない。何歳になっても再出発すればいい。

大谷選手もそうだと思うが、私自身も「なにがなんでもやってやろう」という確固たるぶれない気持ちを大切にしている。

自分が決めた目標、向かった道へまっしぐらに行こうという強い気持ちでの取り組みが、人間が限界を超えることにつながる。

そしてもうひとつ大切なことはその状態を心から楽しむこと。「楽しい」と思うことは、人間が限界突破を目指すうえでの原動力になる。グラウンド上の大谷選手は本当に楽しそうではないか。

90歳になった今の私は、自分の年齢や身体的なハンディキャップを素直に認めて、それをベースに目標を決める。

60代の頃とは肉体的なベースが違うが、目標へ向かう原点である《想い》」は変わらない。

これからどれほど回復できるかはわからない。だが、リハビリを続け、もっと歩けるように、もっとスキーができるようにというのが日々の目標である。

そして、100歳へ向けた大きな目標もすでに考えている。

まず、再び自分の足でネパールのエベレスト街道を歩き、できればエベレストのベースキャンプまでもう一度行ってみたい。

また、ウクライナに平和が訪れ、政治情勢が安定すれば、7大陸最高峰のひとつであるロシアのエルブルースに登頂し、そこでスキー滑走をしてみたい。

エルブルースは今の自分の状況で登ることは難しくとも、一部、雪上車が使えれば山頂近くまで上り、スキーをすることができるのではないか。

やはり日本においては富士山、そして世界に目を向ければ7大陸最高峰、そうした素晴らしい山々は、ロマンや冒険心をかき立ててくれる。

もう一度確認しよう。人生にもう遅いはない。いつも今からがスタートだ。それは誰にでも言えることだ。

出典https://news.yahoo.co.jp/articles/8123c764b1182b7ee89ff2a833c4210b907c68b9?page=1

まだまだ隠居はしない。カーネギーさんもケンタッキーは65歳からだった。
続きを読む≫ 2023/10/28 17:10:28

株式会社ハルメクホールディングス(東京都新宿区)の『ハルメク 生きかた上手研究所』とミキハウス子育て総研株式会社(大阪市北区)は、「家族の呼び名と関係性」に関する意識調査の結果を発表しました。同調査によると、シニア世代の女性が孫から呼ばれている呼び名は「ば〜ば」「おばあちゃん」などに回答が集まったそうです。

 

【調査結果を見る】「孫への接し方について」実母・義母の本音

 

調査は、全国の50〜85歳の女性283人および子どもがいる20〜54歳の女性913人を対象にインターネットで実施されました。

 

50〜85歳の女性(以下、シニア世代)に「孫から呼ばれている呼び名」を聞いたところ、ダントツで「ば〜ば」(41.3%)が最多に。以下、「おばあちゃん」(22.6%)、「ニックネーム」(8.8%)が続きました。

 

一方、子どもがいる20〜54歳の女性(以下、ママ世代)に対して、「子どもは実母や義母のことを何と呼んでいますか」と複数回答可で聞いたところ、こちらも「ば〜ば」(44.7%)が最多となりました。ほか、「おばあちゃん」(17.3%)、「ニックネーム」(11.0%)と続き、シニア世代の回答と同様の結果となりました。

 

ちなみに「ニックネーム」「その他」と回答したシニア世代53人とママ世代164人に自由回答で答えてもらったところ、「〇〇ちゃん(あーちゃん、ババちゃんなど)、「ばーやん」「ババたん」「グランマ」などが挙げられました。

 

なお、92.9%のシニア世代が「孫から呼ばれている呼び名を気に入っている」(気に入っている45.3%・まあ気に入っている47.6%)と回答しています。

 

次に、シニア女性に対して「孫にしてあげたいこと」、ママ世代には「子どもにしてもらって嬉しかったこと」をそれぞれ複数回答で答えてもらったところ、両世代ともに「お祝い行事など祝う」(シニア世代79.2%・ママ世代75.1%)が最多となりました。

 

さらに、シニア女性に対して「孫に教えたいこと」、ママ世代には「子どもに教えてもらいたいこと」を同様に聞いたところ、両世代ともに「やさしさや愛情」(同65.7%・同67.8%)が最多となりました。

 

なお、「孫にしてあげたいこと」「子どもにしてもらって嬉しかったこと」について、世代間で差が大きかった回答は「身の回りのお世話」(同23.7%・同57.0%)でした。また、「孫に教えたいこと」「子どもに教えてもらいたいこと」では、「道徳や不道徳の分別」(同42.0%・同30.3%)、「あそび」(同28.6%・同49.7%)でした。

 

最後に、両世代に対し、孫(子ども)への接し方について「遠慮していること・本当はこうしたい(こうしてほしい)と思うこと」を聞いたところ、シニア世代からは「子育ては親がするものだから言わないようにしている」「もっと会いに行きたいが頻繁にいかないようにしている」、ママ世代からは「もっと気軽に遊びに来て沢山子ども達と触れ合って欲しい」「もっと積極的に接して欲しい」といった声が寄せられたそうです。

 

   ◇  ◇

 

調査を実施した同研究所は、「少子高齢化の社会では、世代間のギャップを越えて、お互いが助け合うことが大切です。ポストコロナ時代で、リアルに会うことができるようになりました。お互い遠慮せずに本音で語り合い、一緒に楽しく遊び、触れ合う時間・思い出を増やしてはどうでしょうか」と述べています。

 

   ◇  ◇

 

【出典】
▽ハルメク 生きかた上手研究所・ミキハウス子育て総研調べ

 

おじい様とお呼び!!!

続きを読む≫ 2023/10/22 17:04:22