徒然なるままにこの身を任せ

三浦雄一郎 不整脈に高脂血症、糖尿病まで…。余命宣告後に80歳でのエベレスト登頂を果たした自分が、「要介護4」を乗り越えて富士登山に挑めた理由とは?

「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、要介護認定を受けた世帯数は増えており、構成割合として「要介護4」はそのうち7.5%となっています。要介護4は、介助なしで立ったり歩いたりするのが難しい状態を指しますが、70歳を過ぎてから三度のエベレスト登頂や、86歳でアコンカグア登頂挑戦をしてきた冒険家・三浦雄一郎さんも、少し前まで「要介護4」の状況にあったそう。リハビリに励みながら、立てた「100歳の目標」とは――。

【写真】足首に重りを付けたり、リュックを重くしたりすることで歩くことを「トレーニング」に変えた

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◆人生に「もう遅い」はない

「人生に、《もう遅い》はない」「人生はいつも今からがスタートだ」

私は、メディアの取材を受けたとき、講演会に登壇したとき、誰かに助言を求められたとき、この言葉を再三口にしてきた。

どんな状況に追い込まれても、何歳になっても、人間には生きている限り可能性があり、それを追求する権利があるということだ。

これは、私が身をもって体験してきたことである。

私は60歳のときに、冒険家、プロスキーヤーとして一度、引退を決めたことがあった。

「このあたりが引き際だろう。のんびり余生を楽しもう」

そのように考え、スキーと好きなゴルフをほどほどに楽しみながら、講演活動などを生業(なりわい)にして暮らしていこうとした。

それからの私は運動をやらなくなった。また、家でも外に出ても、好きなだけ食べて飲んでを繰り返した。パーティに呼ばれてはバイキングでカロリーの高い食べ物をバクバク食べ、ビールやワインで流し込んでいた。

◆3年以内が危ない

いうまでもない。気がつけば私はメタボ体型になっていた。もっともひどいときは、164cmで体重は88kgもあった。鏡に映る腹がたるんだ自分の姿を見て、「う〜ん、これはマズイぞ」と思ったりもした。だが、生活を改善することはなかった。

結果、私はあまりにも大きな代償を払うことになる。

不整脈、高血圧、高脂血症、さらに糖尿病の疑いもあることから、ドクターに「3年以内が危ない」という余命宣告を受けたのだ。65歳の頃だった。

「3年以内」という言葉はショックだったが、「なんとか手を打ちましょう」というドクターの助言もあり、私はそこから心機一転、再スタートすることにした。

今なら年金受給がスタートする年齢である65歳に、また歩き出したのだ。

◆私は挑戦をやめなかった

発奮材料となったのが、父の敬三と次男の豪太だった。当時の父は99歳でモンブランでスキー滑走をしようと計画中だった。また、豪太はモーグルで長野オリンピックに出場した。オヤジとセガレはキラキラと輝いている。それに比べて私は何をやっているのか……。

こうして、私はトレーニングを再開し、70歳でエベレストに登頂するという目標を定めた。

それから、コツコツと5年をかけて体力、筋力を取り戻すことで、エベレスト登頂という目標を達成することができた。世界最高峰のテッペンで、世界最高の風景を見ることができた。

それは生まれたての地球を見ているような気分だった。不整脈も高血圧も完全によくなったわけではなかったが、さらに私は挑戦をやめなかった。

75歳、80歳でもエベレストに登頂し、80歳のときは世界最高齢の登頂ということでギネス世界記録に認定された。さらに、山頂には至らなかったが86歳でアコンカグアにも挑むことができた。

65歳のときに余命宣告を受けた私が、下を向いたまま人生を諦めていたら、おそらくとっくの昔にこの世にいなかっただろう。

『諦めない心、ゆだねる勇気老いに親しむレシピ』(著:三浦雄一郎、三浦豪太/主婦と生活社)

◆マイナスからの再スタートでも前進できる

この話を聞いて、「三浦は若い頃から鍛えていたからできたのだろう」「よほど厳しいトレーニングに取り組んだのだろう」と思う方も多いだろう。

もちろん、若い頃に得た経験値や知見はプラスになっている。だが、少なくとも65歳の頃の私は、体力、筋力ともに平均以下だった。むしろ、メタボで身体は重く、動きも鈍くなり、気力も落ちていた。マイナスからの再スタートだった。

しかも、トレーナーをつけて、アスリートのような厳しいトレーニングを欠かさずやっていたわけでもない。管理栄養士の指導のもとで、栄養価が計算された食事を心がけていたのでもない。「今日は気乗りしないな」と運動をサボることもよくあった。

焼肉やステーキをたらふく食べて、「こりゃ食べすぎた」とベルトを緩めたことは数知れない。そんな私でも、なんとかかんとか、前進を重ねることで三度のエベレスト登頂を成し遂げることができたのだ。

私は87歳のときに頸髄(けいずい)硬膜外血腫になり、下半身が痺(しび)れ、感覚が鈍くなり、一時は起き上がることもできなかった。そんな絶望的な状態でも、「目標を立てる」ということは65歳のときと同じだった。

たしかに、60代、70代のときとは状況は異なる。しかし、子どもたちや周りの人たちにさまざまなことをゆだねることで、また、再スタートすることができた。

◆100歳の目標もすでに決まっている

メジャーリーガーの大谷翔平選手は、ベースボールの世界で誰もなしえなかった投打の二刀流に挑戦し、見事に成功させた。「二刀流なんて誰もやっていないから無理だ」と最初から諦めず、それを実現するための挑戦をスタートさせたからこそ、今の大活躍があるのだろう。

もちろん誰もが大谷選手のようになれるものではない。まして、高齢者ならなおさらだ。

しかし、地球上に生かされた我々人間のすべてに、スタートするチャンスはある。年齢は関係ない。何歳になっても再出発すればいい。

大谷選手もそうだと思うが、私自身も「なにがなんでもやってやろう」という確固たるぶれない気持ちを大切にしている。

自分が決めた目標、向かった道へまっしぐらに行こうという強い気持ちでの取り組みが、人間が限界を超えることにつながる。

そしてもうひとつ大切なことはその状態を心から楽しむこと。「楽しい」と思うことは、人間が限界突破を目指すうえでの原動力になる。グラウンド上の大谷選手は本当に楽しそうではないか。

90歳になった今の私は、自分の年齢や身体的なハンディキャップを素直に認めて、それをベースに目標を決める。

60代の頃とは肉体的なベースが違うが、目標へ向かう原点である《想い》」は変わらない。

これからどれほど回復できるかはわからない。だが、リハビリを続け、もっと歩けるように、もっとスキーができるようにというのが日々の目標である。

そして、100歳へ向けた大きな目標もすでに考えている。

まず、再び自分の足でネパールのエベレスト街道を歩き、できればエベレストのベースキャンプまでもう一度行ってみたい。

また、ウクライナに平和が訪れ、政治情勢が安定すれば、7大陸最高峰のひとつであるロシアのエルブルースに登頂し、そこでスキー滑走をしてみたい。

エルブルースは今の自分の状況で登ることは難しくとも、一部、雪上車が使えれば山頂近くまで上り、スキーをすることができるのではないか。

やはり日本においては富士山、そして世界に目を向ければ7大陸最高峰、そうした素晴らしい山々は、ロマンや冒険心をかき立ててくれる。

もう一度確認しよう。人生にもう遅いはない。いつも今からがスタートだ。それは誰にでも言えることだ。

出典https://news.yahoo.co.jp/articles/8123c764b1182b7ee89ff2a833c4210b907c68b9?page=1

まだまだ隠居はしない。カーネギーさんもケンタッキーは65歳からだった。